2014年02月24日
ソチと安部公房と解放系プログラム
ペルー、アメリカ、そしてソチでもイルカが大量死してます
2週連続の大雪騒ぎでやはり疲れていたのでしょうか、下書きの整理をしてたらアップした記事も一緒に消してしまいました。まあ、消えていい内容だったのかな?
普段はオリンピックはノーマークなのですが、大雪情報を拾うついでに目にするソチ・オリンピック情報、ついつい乗せられちゃった感がちょっとありました。
しかし、書きながら常に安部公房のこの本が妙に気になってた・・
http://d.hatena.ne.jp/chame_dt/touch/20101018
20年前頃、安部公房はわりと好きで文庫本はほとんど買ったけど、どこにしまったやら?
そうしたら今朝、物置の中で発見。あらためて読むと目からうろこで、単にオリンピックが国家的集団化の儀式として利用されているというの安易な発想ではなく、人と動物を隔てる「ことば」の功罪についての考察がすばらしい。
条件反射で有名なロシアのパブロフは、「言葉」を一般の条件反射より一次元上の条件反射だとみなしていたそうで、なるほど、パンケーキブームも「女子力アップの~」という「ことば」に反応しているのね。
そして、その「言葉」の発生には、地球の自転に似た力場が作用していて、すなわち、言語学者チョムスキーに言うところの「普遍文法」、動物の本能行動とかなり似通ったところがあるのです。
しかし、人間は「ことば」をもったせいで、動物なみの「本能」とは切り離されてしまった。
動物がある種の物体をみて、ただわけもなく逃げ出したい「気分」になるのは、「本能」であり、遺伝子レベルに組み込まれたプログラムによる行動誘発、もしくは抑止のシステムなんだけど、
「ことば」を獲得した人間は、そういった素直な反応は出来ず、いったん「ことば」のフィルターを通して、意味の信号に転換してから行動の選択をする・・んです。
つまり、パンケーキ食べたくなくても女子力アップの意味に変換して食べる選択をしちゃう。
公房さんはこれを、つまり「ことば」を行動刺激の信号にすることで、人間は創造的プログラムを持つにいたったわけですと、言ってます。
本能で行動する動物のプログラムが、人間においては解放系になったというわけです。
だから、文化芸術や科学技術が発展したわけだけど、その「ことば」の代償として同種殺害能力が、いくつかの本能の放棄とコミで獲得された。
しかし解放系プログラムならば、新たに「ことば」で創造的で平和な個性化の道へとプログラムを修正することは可能なんだけど、
ここにおいてオリンピックや国際スポーツ、式典などの儀式化が問題になるのですが、安部公房さんによると、いっぱんに「集団化の儀式」は、「ことば」を眠りにさそう手続きであり、
じつは蛇口を開ける刺激ではなく、逆に閉じる刺激なのです。蛇口よりゴム紐のたとえのほうが分かりやすいかもしれない。「集団化」の信号は、力いっぱい伸ばしきったゴム紐から、手を離すように命じているのです。分散化や個別化を「ことば」の緊張状態だと考えれば、こちらは休息状態だとも言えるでしょう。
つまり「ことば」による解放系DNA進化の可能性を冷却させられているというわけですネ。だから大雪ふったのかな?で、疲れちゃってオリンピックで休息したかった私・・
なーんてテレビないのでちゃんと見てないんですが、例のフィギア騒動はネット記事での大合唱読んでるだけで、おそるべき眠り薬のちからを実感しました。
安部公房さんは20数年前の時点で、
ぼくはけっして技術万能主義にくみしているわけではなく、たとえば「擬似集団」の無制限な製造機であるテレビに対しても、かなりの不安を感じてます。また核兵器を含むすべての兵器、環境を破壊し汚染している巨大産業が、すべてシャーマンに対する企業献金によって成り立っていることも知ってます。
と、記してるけど、テレビをネットに置き換えても同じことだと思う。で、シャーマンって誰?「知ってます」って、かなり断定的ですね。
人間が「ことば」を手に入れるために支払った代償のなかに「集団化」の本能だけは入ってなかったらしい・・とも言ってますが、
ノーベル文学賞に最も近いとされながら(もらっても多分辞退しただろうけど)68歳で早逝した、医者にならなかった東大医学部卒のSF作家の安部公房さんの作品の数々を、今こそ読みかえしてみようと思いました。
Posted by ラン141 at 17:56│Comments(0)